大好きな英語をもっと学びたい!
念願のアメリカ留学へ
「小学生の頃、親戚から借りたビデ オで観た映画にどっぷりはまって。英語の滑らかな響きに魅了されたんです。なにこれ!かっこいい〜って」。短大を卒業し英語講師として2年間従事した後、反対する祖父を1年がかりで説得して夢だったアメリカ留学へ。文化の違いや言葉の壁、差別にぶつかりながらも「限られた時間。悩んでいる暇 があるなら今しかできないことを!」と、積極的に行動。特に街なかにも二 ュースを流している、大学内ブロードキャスト課での経験が大きかったと言う。「絶対ニュースを読みたい!って。 でも、オーディションを何度受けても落とされて。それでも諦めず、9回目で採用されたんです!」。充実した日々を過ごすある日、家族から祖父の病気を知らされ急遽帰国することに。 MEGさんが留学してすぐに病に倒 れ、闘病生活を送っていたのだ。「どれだけ苦労して留学したのかを知っているのですぐには言えなかったと。本当に家族に支えられました。今度はみんなに恩返ししたいと思いましたね」。帰国後は留学での経験を生かし放送局を志望。念願だった放送局からの内定を得た。
内定もらったのに?
なぜかタレント活動を始めてしまった!
入社を心待ちに過ごしていた頃、夕レントの藤本一精さんと思いがけず再会する。「短大時代、文化祭のゲストに来てくれた方だったんです。放送局の試験を受けていることも伝えたんですが『事務所に遊びに来い』って。何度も断ったんですが、ありがたしつこかった ですね〜。仕方なくイベントで歌うお仕事を受けましたが、これがまた大変で。『私がやりたいことはこれではない』と、以降の仕事はお断りしました。 それでもしつこく電話が来る(笑)。飯行こうか〜とか。それで、もう歌の仕事は無理だと言うと、なんと「なら福岡のラジオのオーディション受ける か』って。『やります』って即答しまし た」。無事に合格を手にした。
つらい、やめたいと
泣きながら通勤する日々
そこからは、鬼のように厳しいディレ クターにしごかれる日々。「また来た の?」「何しに来たの?」と、言われ続 け、何度も辞めたくなった。「母にもう辞める!と泣きついても「あと一回だけ 行ってみたら?辞めるのはいつでもで きる』と、うまく丸め込まれて。高速バスの中で泣きながら通い続けましたよ」と、ダメ出しに落ち込む日々を数 年送り続けたある日「ようやく「いまの良かったな』とディレクターから褒められて。涙が止まりませんでしたね」。
何が「次」につながるか分からない!
「福岡でラジオの仕事を始めた頃『面白そうな人がいる』という情報を聞きつけたラジオ局の方から、熊本でのラジオの話をいただくようになりました。でも、早起きは苦手って言ったのに、なぜか『朝のレギュラー枠が決まりました!』って言われて(笑)。でも、結 果的にそれが今の仕事に繋がっています。最初はしんどいなって思っても、やり続けたら道が開けることもある。『やっぱり違うな』って思ったら方向転換すればいい。私は教育実習に行ったことで、小さいころの夢を思い出して先生になりました。そして留学先で先生から頼まれて日本の学生向けのビデオ制作を手伝ったら、放送の面白さを知ることができた。そして、諦めずにこの業界に誘ってくれた一精さんには本当に感謝しています。人生、何が起こるかは本当に分かりません。だからこそ、たくさんチャレンジしてください!」